2015年5月12日火曜日

「人を蹴落として偉くなる」のか?(地獄のシリコンバレーより)

4 月中頃にベイエリアを中心に(小さく)燃え上がった「地獄のシリコンバレー」。すでに完全に鎮火した感があるけど、ちょっと気になったコメントがあったので。

上記リンクにある tweet の一つから抜粋。
これも相対評価だから、どの社員よりも自分が優れてないといけない。人を蹴落としてでも上に登りたい上昇志向で自分のスキルを常に磨く準備はあるのか。
この「人を蹴落としてでも上に登る」という意見は、何回も見た/聞いたことがある。それもアメリカで働いている人や働いたことのある人からだ。
しかし個人的には、(プロモーションも昇給も経験しているが)蹴落とした、蹴落とされたと感じたことはない。どこからこのイメージが生まれてきたのだろうか?

仮説 1. 「人を蹴落とす」業種・業界がある

完全に妄想だけど、そういう業種・業界があるのかもしれない。セールスやトレーダーなんかは蹴落としあってるイメージが私にはある。どちらもコミッションベースの給与であることが多いので、個人プレーになりやすいのかな、と思う。

エンジニアはたいていコストセンターなので、給与にコミッションが入ることはまずない。トレーディングアルゴリズムを開発・運用している会社のように、エンジニアがプロフィットセンターならありえるかもしれない。

仮説 2. 日本の大企業と比べると「人を蹴落とす」感がある

私はいわゆる日本の大企業で働いたことがないのだが、聞くところによると「年次」という概念があって、同じ年に入社した社員は全員同額の給与をもらい、全員等しく昇給していくそうだ。(もちろん役職手当とかはあるが)
こういう給与体系と比べると、(おそらくシリコンバレーでは標準であろう)「パフォーマンスに応じて job level, 給与が変わる」仕組みは、「人を蹴落とす」感があるのかもしれない。でもまぁ「パフォーマンスに応じた給料」は日本でももうそれなりに一般的だよねぇ (?)

仮説 3. 昔のアメリカは「人を蹴落としてた」

この話の他にも「アメリカでは書類を引き出しに入れて鍵を掛けてから帰る。同僚が書類を盗むかもしれないから」みたいな話も聞いたことがある。「アメリカは個人主義」というやつだ。
この手の話はいくつかあるので、そういう時代もあったのかもしれない。また、「Japan as No. 1 の時代の日本企業を研究して、『チームワーク』『会社は家族』のような考え方を取り入れた」という話も読んだことがある。なので、昔は「人を蹴落としてた」けど、今では「チームワーク重視」になった。ということがあるのかもしれない。

仮説 4. 見知らぬ社会での恐怖感の裏返し

これが結構あるのではないかと個人的には思うのだが、人はよく知らないものには恐怖感を持ち、敵意を抱きやすい。見たこともない生物が目の前に現れたら、子供なら興味を持って近づいていくかもしれないが、大人は逃げ出したり攻撃したりするだろう。
というのは極端な例だが、同じ文化の中で育った同じ民族なら、ちょっと会話をするだけで相手のことがわか(ったように思い込んだりす)るが、英語が流暢じゃない日本人が、コミュニケーションの作法が異なる外国人について「コイツ何考えてるのかわからない」と思い、自分を蹴落とそうとしてると感じることはありそうな気がする。
仏頂ずらのまま早口でまるで怒ってるかのようにまくしたててる人は結構いるし、その内容がわからず、「わからないからもう一回言ってみて」と聞き返すこともできない状況で蓄積したフラストレーションが元で、相手に悪感情を持つというのは、自分にも経験はある。


とくに結論はないのですが、「競争社会だから、蹴落としたり蹴落とされたりするんだよ」っていうのは、「アメリカ一般」には該当しないんじゃないですかね。アメリカは日本より多様性がある(と思う)ので「アメリカ一般」というのがそもそも無意味なのですが。

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