2011年10月6日木曜日

Steve Jobs


[The EconomistObituary: Steve Jobs の翻訳]

コンピュータ業界には、いや他の業界にさえも、Steve Jobsのようにプレゼンテーションができる人はいなかった。黒いステージに独りたち、「魅惑的」で「驚くほど素晴らしい」新製品を、どきどきしている観客に向けて魔法のように取り出すさまは、まさに天才エンターテイナーだった。コンピュータにできることなんて、数字を取り出して並べ替えるだけだ、とかつて彼は言った。でもそれをとても速く行えば、「魔法のような効果を生み出すんだ。」 その魔法を、美しくデザインされ、簡単に使える製品に詰め込むことに、彼は人生を捧げた。

彼は、1970年代において、普通の人にコンピュータを販売するというアイデアに可能性を見出した数少ない一人だった。黒い画面に緑の文字が表示され、フロッピーディスクがまだ柔らかかった時代に、コンピュータはすぐに誰もが使えるものになるなどと考えるのは非現実的だったが、Mr Jobsは次に何が起こるかを見ることができる、数少ないパイオニアだった。決定的だったのは、彼は、エンジニアとしてコンピュータを内側から見る才能だけではなく、ユーザーとして外側から見るという貴重な才覚も持っていたことだ。わがままな子供時代を過ごしたからだろう、と彼は語っていた。

Mr Jobsはシリコンバレーで育ち、コンピュータに取りつかれた。1960年代のティーンエイジャーは、あこがれだった Bill Hewlett に勧誘の電話をかけ、Hewlett-Packardでの夏休みのバイトを手に入れた。しかしその後、大学を中退し、インドに旅行に行き、仏教徒になり、幻覚剤を体験し、ようやく1976年のエイプリルフールに、カリフォルニアの両親のガレージでApple社を共同設立することになる。「私達の業界のほとんどの人は、幅広い体験をしたことがない」と彼は語っている。「だから、繋げられるような点を持っていないんだ。そしてとても直線的な解決策しか考えられない。」 Bill Gatesについて「若いころにLSDをやったり、ヒンズー教の僧院へ旅でもしてればもっと大きな男になっただろうにね」と言っていた。

例えば、大学を中退してカリグラフィーのクラスに出席したことで、Mr Jobs は、使い道のないタイポグラフィを愛するようになった。しかし、1984年にAppleが発売した、マウスで操作できる画期的なグラフィカルコンピュータ Macintosh にとって、様々なフォントをサポートしていることがその特徴を表していた。ウィンドウ、アイコン、そしてメニューを見たらわかるように、それは「一般人のためのコンピュータ」だった。Appleの最初の成功で富を成した Mr Jobsは新しいマシンを大量に売ろうと目論んだ。しかし、新マシンは望んだほどの成功は得られず、取締役会は Mr Jobsを追放することになった。

このどう見ても破滅的な転換は、しかし、福音となる。「自分に起こった最高の出来事だ」と Mr Jobsは後に語っている。コンピュータグラフィックスに特化した新会社 Pixar と、新しいコンピュータメーカー NeXT とを共同設立した。輝かしい第二幕は、1996年に始まった。どうしようもなくなった Apple は NeXT を買収し、その技術を Apple の新製品のコアとして組み込むためにに Mr Jobs の再登場となった。あとは歴史のとおりだ。Apple は iMac, iPod, iPhone, iPadをリリースし、(一瞬だが) 世界で最も価値のある上場企業となった。「Appleを首にならなかったら、こんなことは起こり得なかったと確信を持って言える」と Mr Jobsは2005年に言った。8月に体調悪化のためボスの座を降りたときは、歴史上最高のCEOとしてもてはやされた。そうそう、彼の副業だった Pixar は、アニメ映画の大成功作を幾つも生み出した。

振り返ってみれば、Appleでの第一幕では、Mr Jobsは時代を先取りしすぎていたといえる。初期のコンピュータは技術屋のものだった。しかし、デザインと使いやすさを強調する姿勢は、のちに優位性を生み出す。コンピュータがファッションアイテムとなり、誰もが持ち歩き、なんでもできるようになった世界においては、上品でシンプルで、コンピュータ以外の世界を知っていることが強みとなった。2011年3月にiPad2を発表したときのスピーチの最後でMr Jobsは「技術だけではダメなんだ」と言った。「文学、教養、人文科学と技術とが出会うことで、心を震わせるような成果を生み出す。」 技術の会社のトップがこんなことを言うのは珍しいが、これこそ昔からのSteve Jobsだった。

複数の学問分野をまたがるようなアプローチは、細部への極端なこだわりに支えられていた。よいタンスを作っている大工は、たとえ誰も見ないとしても、背部にベニヤ板は使わない、というのが彼の主張で、自分の製品にも同じ姿勢で取り組んだ。「夜ぐっすりと眠るためには、美学と品質が貫かれてなくてはいけない。」 彼は、最初のMacintoshを作るときに、エンジニアの利便性よりもユーザーのニーズを重視し、内部の空冷ファンを無くすべきだ、そうすれば静かになる、と主張した。週末に、Googleのエンジニアを緊急に呼び出してこう言ったりもした。「iPhoneに表示されるGoogleロゴの文字の黄色が、少し違う。」 Appleの広告のテキストを自分で書いたり、書きなおしたりすることもよくあった。

ステージ上では禅のような神秘的な仮面をかぶっていたが、Mr Jobsは独裁的で激しい癇癪持ちのマネージャーだった。それでも彼のエゴは正当化された。まだ存在しない新市場を開拓する際は、マーケットリサーチャーやフォーカスグループ [訳注: 何人かの消費者に試作品を使ってもらい、意見を製品に反映させる手法] を廃し、自分の直感を信じた。「多くの場合、それが目の前に提示されるまで、自分が何が欲しいかなんてわからないものだ」というのが彼の意見だった。彼の判断は不気味なくらい正確で、人生全体を見れば、成功は失敗を大きく上回った。Appleを作って間もないころ、あるエンジニアは、Mr Jobsが「現実をねじ曲げる力」を放射していると言ったが、彼の物事を追求する姿勢はまさにそうだった。そして最後には、コンピュータの魔法を、音楽、電話、そしてメディアを再構築する製品へと導くことで、ついに現実を変えた。青年時代に「世界中に鳴り響くような鐘を叩きたい」と言っていた男は、それを成し遂げたのだ。



[原文の訂正に伴う訂正: 週末に呼び出されたのはAppleではなくGoogleのエンジニアでした。これは2008年の事で、AppleとGoogleがライバルではなく同盟を組んでいた時の話です。]

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